明日、何が咲くか

 聖学院小学校は、6月15日、火曜日に花の日礼拝を守ります。今年度は、コロナ・ウイルス感染防止に配慮して、児童宗教委員会による午後の校外訪問は行いません。代わり に、児童宗教委員たちが心を込めて感謝やお見舞いの言葉をカードに書いて、お世話に なった方々へ郵送致します。また、校内でお世話になっている方々へは、例年通り花束とカードをお渡し致します。

 花の日の習慣は教会が世界に広めました。特に、花の日礼拝を守った後、子どもたちに花束やカードを持たせ、病院、警察署、消防署、福祉施設等に届け感謝を伝えてきました。24時間体制で地域の人々の命に仕える医療従事者、警察官、消防士、福祉士に感謝の気持ちを伝える体験は、児童の心を大変豊かにしてきました。

 花の日礼拝と午後の訪問は、今から165 年前に米国のマサチューセッツ州の教会から始まりました。チャールズ・H・レナード牧師が子どもを集めて礼拝を持ちました。出席した親子は夏の花を持って来て、教会を美しい花で飾りました。そして、礼拝が終わるとその花を子どもたちに持たせて、地域に仕える病院、警察署、各施設を訪れ、花やカードを渡し、感謝、奉仕、命の大切さを学びました。この良き習慣は、花の日、または、子どもの日として、全米の教会に広がりました。やがて、6月の第二日曜日に教会は花の日(子どもの日)礼拝を献げるようになりました。この米国の教会が起源の花の日を、宣教師たちが日本の教会に広めました。花の日礼拝と午後の訪問は、すぐに日本中の教会とキリスト教学校に伝えられ実践されました。

 神の御子主イエス・キリストは、マタイによる福音書6章29節で、「しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった。」と、語っていました。キリストは、私たち人間の上には、この一つの花以上の神様からの深い愛の配慮がある、と宣言していました。そして、神様の愛の配慮によってもっと美しい花を人間は咲かせるのだ、とキリストは確信していました。キリストは、神様の御前で人間は誰でもそのままで価値あるものである、ご自身が十字架で命を献げ贖う価値がある、と堅く信じていました。この事は、人間の命の価値の根拠が人間の揺れ動く勝手な判断にあるのではなく、神ご自身の愛の中にあることを示しています。

 神様は愛です。人間は愛の神様に向かって命の花を咲かせ輝きます。子どもたち一人ひとりが神様の愛で心が育まれ、明日、何を咲かせてくれるのかが楽しみです!

チャプレン 中村 謙一
(学校だより けやき 第513号2021年5月28日発行)