その日、その時を知らない

「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」
マタイによる福音書25章 13節

 もうすぐ東日本大震災の起こった3月11日が来ます。13年前のこの日のことは決して忘れることはありません。大きく長く、いつまでも続く揺れ、寒い校庭への避難、次々とやって来る家族への引き渡し、その後も起こる余震とそのたびに鳴り響く警報音。日没後は残った児童のために教室に毛布で寝床をつくり、深夜には次々に到着する保護者への対応…。過去に経験したことがない二日間をすごしました。ご家族の方々もそれぞれに、13 年前の忘れることができない「その日」があったことと思います。
 2024年の元日に起こった能登半島地震は、お正月ということもあり、まったく想定していないときの突然のできごとでした。備えていたつもりでも、わかっていたつもりでも、そのときは突然やってくることを、あらためて思い知らされた時でした。

 聖書に「十人のおとめのたとえ」の話があります。花婿を迎える十人の女性のお話です。五人はあらかじめ夜に備えて「ともし火」をつける油を用意していましたが、あとの五人は油の用意をしていませんでした。花婿の到着が遅れ待ちくたびれてすっかり眠り込んでいたときに、突然「花婿だ。迎えに出なさい」という声で起こされます。 五人はすぐに火をともして迎えられたのに対し、用意のない五人は油を買いに行かなくてはならず、結局の婚宴の席に間に合わないどころか、戸を空けてもくれなかった、という話です。これはイエスキリストの再臨のことをたとえた聖書のお話です。
(この機会にお手元の新約聖書の49ページ マタイによる福音書1節~13節を読んでみてください)

 聖書に記されているこのことは、地震や津波、台風などの自然災害や、わたしたちの身の回りにあるさまざまなことにも、重ねられるように思えます。「あなたがたは、その日、その時を知らないのだから」というみことばは、わたしたちの心に重く響きます。

 現在も被災された方々は、悲しさや恐怖に加え、積もる雪や寒さ、道路や電気、水道が不自由な中で、不安な毎日を過ごしていらっしゃることと思います。悲しみの中にある方々へのなぐさめと、一日も早い復興をお祈りしたいと思います。

 日本に住むわたしたちは、豊かな自然への感謝と共に、常に自然災害と隣り合わせにあることも忘れてはいけません。安全であること、備えること、共に助け合うこと、みんなで心をひとつに祈ることの大切さを今、あらためて思います。

教頭 田村 一秋
(学校だより けやき 第542号2024年1月30日発行)