心を聴く

 間もなく45日間の夏休みが始まります。
「こんなにある!」と思ってスタートしても、8月31日の夜に「もう明日から学校だ!宿題が!」と焦る…。いつの時代にもありがちなパターンにならないよう、子どもたちには計画をしっかり立てて、充実した日々にしてほしいと願っています。
 長い夏休み、子どもたちは大喜びですが、保護者にとってはなかなか大変な45日間だと思います。私自身、仕事をしている時、していない時の両方の夏休みを経験していますが、どちらもそれぞれに大変でした。仕事をしていた時は、子どもたちの居場所の確保に奔走してもうまくいかなかったり、ゲーム漬けにならないように考えてもそれをかいくぐられたりなど、頭の痛いことがたくさんありました。仕事をしていない時は、朝から晩まで3人の息子たちとずっと一緒で休む暇もなく、汗だくで作った昼食を一瞬で食べ尽くされた途端に、「晩ご飯何?」と聞かれたり、掃除したばかりの部屋を思い切り汚されたり…堪忍袋の尾が切れそうになったことは枚挙に暇がありません。
  そんな時、私のざわつく心を鎮めてくれたものが二つありました。一つは、写真立てに入れて飾ってあった、生まれたばかりの息子たちの写真です。特に、保育器の中で呼吸器とたくさんの管に繋がれている双子の次男と三男の写真は、「無事に生まれてきてくれてありがとう。生きていてくれるだけでいい。」と思った日を思い出させてくれ、大変な中にも感謝の気持ちを持つことができました。もう一つは、聖句です。
「わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。人の怒りは神の義を実現しないからです。」
(ヤコブの手紙1章19~20節)
人間の顔に耳は二つなのに口は一つしかつけられなかった神様の意図を考え、まずは子どもたちの話を「聴こう」という気持ちにさせてくれました。
 聖書には、「聞く」と表記されていますがあえて「聴く」を使いたいと思います。
 「聞く」は、音や声など自然に耳に入ってくるときに使う表現で、英語だと「hear」です。一方、「聴く」は、理解しようと積極的に耳を傾けることを表していて、英語だと「listen」です。(実は、英語の聖書では「listen」が使われています。)この「聴く」という字を私は、「十(字架)」と「目」と「心」できくという字だと思っています。イエス様は、相手の名前を呼び、目を合わせ、同じ立場に立って、言葉の裏にある心情までも読み取ろうとして耳を傾けてくださる方です。そんな風に「聴く」ことができればと思います。
 私たちも、9月からの学校生活で子どもたちに還元できるよう、研修に参加したり、普段はできない体験をしたり、見聞を広めて45日間を大切に過ごしたいと考えています。そして、子どもたちの心を「聴く」ために自分自身の心を磨いていきたいと思います。

校長補佐 相浦 智
(学校だより けやき 第548号2024年7月12日発行)