光の子として歩む

 すっかり秋らしい気候となりました。「けやき」12月号が発行される時は、紅葉が見頃を迎えていることでしょう。今年は葉の色づきが良いと言われています。紅葉は「こうよう」や「もみじ」と読みますが、漢字で書くと、鮮やかな赤い色を表す「紅」(正確には、わずかに紫色を含んだ赤のことだそうです)に葉と書きます。興味深いことに、現存する日本最古の歌集『万葉集』では秋の葉の色づきについての歌が100首以上あり、そのほとんどが「黄葉(もみち)」と書かれているのだそうです。ある研究者によれば、もみちの「黄」は「光沢」を表すそうです。人工的な色で満ち溢れている現代とは違い、自然の色合いに囲まれた時代の中で、秋の葉は光り輝くように辺りを映えさせ人々に感動を与えていたことが想像できます。
 さて、聖書にも「光」という言葉は多く出てきます。旧約聖書の1ページ目には、天地創造は神さまが「光あれ」と言われたことから始まっています(創世記1章1節)。そして、イエスさまは「まことの光で、世に来てすべての人を照らす」ためにこの世に来られたと教えています(ヨハネによる福音書1章8節)。さらに、イエスさまの光に照らされたわたしたちに「光の子として歩みなさい」とすすめています(エフェソの信徒への手紙5章8節)。光の子として歩むというのは、決して「きれいに歩む」ということではありません。わたしたちは誰もが、暗闇の部分を持っています。大切なのは、明るい部分も暗い部分も、それら全てを含めた「わたし」を神さまはたまらなく愛してくださっていると信じて歩んでいくことです。  
 ところで、わたしたちは、自分自身の暗い部分について言語化するときに「コンプレックスを抱く」「コンプレックスが強い」などと言うことがあります。有名な心理学者の河合隼雄氏によれば、わたしたちの抱えるコンプレックスを克服するためには、自分の欠点について孤独に検討や反省をしてもそれほど効果がないようです。むしろコンプレックス解消の機会というのは、他者と共に生きていく中において与えられると言っています。他者との比較の中で生まれるコンプレックスが、他者との関係の中で癒され、より高次の自己へと成長するというのです。聖学院小学校では、集団生活の中でそのような良い相互作用が生まれるために、互いの間を神さまが執りなしてくださるよう、事あるごとに祈ります。これからも一人ひとりがありのままの自分を歓迎してくださる神さまに出会い、与えられた恵みと感謝をもって互いに仕え合う心が育まれるよう願っています。

参考文献:孫 瑋(2016).『万葉集』の「黄葉」についての一考察.学芸古典文学9(pp.3-11).東京学芸大学。

スクールカウンセラー 佐藤 愛
(学校だより けやき 第561号2025年10月30日発行)