激動の2020年が暮れようとしています。世界は今もコロナウイルスと闘っています。聖学院小学校も、世界中の小学校と共にコロナ禍を経験しました。私たちは、国を挙げた感染防止策に協力しつつ、自宅学習のときを持ちました。待ちに待った学校再開から午前授業へ、そして現在は平常授業へも移ることができました。子どもたちの日常の笑顔に皆が励まされつつ、私たちが学校生活を歩めることを神様に心から感謝致します。
コロナ禍の渦中にあっても、主イエス・キリストのお生まれを祝うクリスマスが近づいてきました。クリスマスの感謝と賛美を私たちの心から取り去るものは何もありません。主イエスは、今から約2千年前のユダヤのベツレヘムに救い主(キリスト)としてお生まれになりました。クリスマスにお生まれになった御子は、王的・祭司的・預言者的な職務を果たされるメシア(油を注がれし指導者)であると理解されています。クリスマスのあの東方の学者たちも、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。」(マタイによる福音書2章2節)とヘロデ王に尋ねていました。メシアの役割の中には王的な職務が含まれています。やはり主イエスは王であったと言えます。
しかし、主イエスは特別な王でした。主イエスは「祈る王」でした。辛いとき主イエスは弟子たちに祈ることを勧めました。十字架に架かる寸前、主イエスはゲッセマネの園で弟子たちと一緒に祈っていました。小石を投げれば届くほどの近いところで、主イエスは祈りました。それは助けを求める祈りでした。十字架の死が主イエスに近づいていたからでした。弟子たちは主イエスのこの真剣な祈りを聞きました。
主イエスは、天におられる父なる神様に、
「アバ、父よ。あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。」(マルコによる福音書14章36節) と祈って助けを求めました。この「杯」とは、十字架の苦しみと死に他ありません。「この杯をわたしから取りのけてください。」と言って、主イエスは十字架の道以外の道を願い祈っていました。一方で主イエスは、「しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(36節後半) とも祈り、あくまでも、父なる神様の御心を優先させました。祈る王は愛を持って、十字架の上で最後まで罪の赦しを祈ってくださいました。主イエスの十字架の祈りは世界を導き、今も多くの人々の心を励まし強めています。
このように神の御子と呼ばれ敬われた主イエスご自身も、苦しいときには父なる神様に祈っていたのでした。困難に直面するときには集まって一緒に祈って前進することを主イエスは弟子たちに教えていました。主イエスは人間の弱さを経験され理解しておられました。私たちも自宅学習中、リモート配信のホームルームに久しぶりに集められたとき、皆で礼拝し祈りました。私たちは、心を一つにして学校生活の回復や、友だちや先生との再会を願い祈りました。そして何と言っても、お子様に寄り添う保護者の皆様の心の中にある切実な思いも祈りとして加えられました。私たちは今、祈りが少しずつ聞かれてきたことの感謝を持ってクリスマスを迎えようとしています。神の愛を持って私たちのために祈り導かれる王、主イエス・キリストの到来を待ち望みましょう。世界がコロナに打ち勝つことができますように。
メリー・クリスマス!
チャプレン 中村 謙一
(学校だより けやき 第507号2020年11月26日発行)