この1年から学ぶこと

 特別な1年が終わろうとしています。1年前の今頃は、これから世の中がこのような1年を迎えるとは世界中の誰も想像していなかったことでしょう。わずか1年でわたしたちの生活や環境、価値観にいたるまですべてが変えられました。不安の1年でもありましたが、その中から新しい生活のきざしも見えてきました。

 将来に語り継がれるような特別なこの1年をここで少しふりかえってみたいと思います。
 政府の臨時休校要請から一夜明けた2月28日、この日が2019年度最後の登校日となりました。当日予定されていたハンドベル発表会、翌日の学習発表会は中止となり、3月は1日も登校できませんでした。
 4月に入り、5月に入ってもまだ登校再開はかないませんでした。その中、ホームページを通して学年通信や課題が出され、新しい担任の先生とは実際に会うより先にメールでつながるところから新年度はスタートしました。
 やがて「学年ホームルーム」としてオンラインで顔を合わせることもできるようになりました。画面いっぱいに友だちの顔が映し出されたときのこどもたちの歓声は今も忘れられません。
 そして6月10日、ついに登校日を迎えます。この日は放送で始業式が行われました。翌11日には1年生が初登校し入学式は教室で行われました。そしてしばらく時差登校の期間を経て、7月13日からは通常登校となり、今に至ります。
 ふりかえってみると、「できない」から「できるところから」という思いで少しずつ、階段を上るように今の生活に近づけていったことを、当時の苦労と共に思い出します。

 いつものように明日が来て、予定通りに進み、また次の日が来るという、今までの当たり前は実は当たり前ではないということを身をもって学んだ1年でした。
 聖書のマタイによる福音書25章1節-13節に「十人のおとめのたとえ」というお話があります。結婚式の手伝いをすることになっていた10人の女性のうち、賢い5人は夜に備えあらかじめ「ともし火」のための油を壺に用意し、ほかの5人は用意をしませんでした。そして予定が大幅に遅れて深夜に突然声がかかります。あらかじめ壺に油を用意していた5人は火をともし、お迎えの手伝いをすることができました。しかし残りの5人は寝込んでいて、突然起こされては油がないことに気づき、買いに行ったりしている間に婚宴の扉は閉められてしまった、という話です。
 この話の最後13節に「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」とあります。これは「神の国」についてのたとえですが、この聖書の箇所は、今回わたしたちが経験したことにも重ねることができそうです。
 予定外のことが起こるかもしれないことへの備え、そして目を覚ましていることの大切さです。

 備えは気持ちだけではありません。賢い5人の女性は起きていただけでなく壺に油を用意していたように「物」の備えも重要です。

 今すべての家庭で、学校からのメールやホームページが見られるようになっているでしょうか。
 Google Classroom は使えるでしょうか。
 課題はプリントアウトできるでしょうか。
 学年ホームルーム(Zoomミーティング)はできるようになっているでしょうか。
 この冬休みは、今年ご家族で経験して学んだことを具体的な「備え」として形にしていただけたらと思います。

 感染症や地震、気候変動などわたしたちは今、不安の時代を迎えています。しかし、聖書の時代にも疫病や天災がありました。その中で人々は神さまを信じ、備えることで平安を得ることができました。いろいろあった1年ですが、いつも主にある平安が約束されていることを信じて今を共に生きていきたいと思います。

 今年ももうすぐ終わります。1年をふりかえり、すべてに感謝できますように。
 すばらしいクリスマス、そして新年をご家族でお過ごしください。2020年もお支えいただき、ありがとうございました。

教頭  田村 一秋

(学校だより けやき 第508号2020年12月18日発行)